地球での生活レポートをしたためています。 この星で、ぼくが何を考え、何をしているのかを知る良いツールだと思います。
なぜ、この時期なのだろうか。辞めるとすれば、参院選で大敗した7月の時点ではないのか。それをせずにいたということは、重要法案制定などで区切りをつけた後でない限り、辞任はしないものと思っていた。
体調不良のためという話もあるが、首相という職業が激務であることは周知のことであり、また、自ら望んでなった以上、本人が耐えられなかったとしても職責は全うすべきであった。とはいえ、本人の問題ではない政治とカネの問題が続出した運の無い政権であったとも言える。
とはいえ、去るものは追わず。次の内閣を考えよう。
内閣総理大臣には、現時点で福田氏が最有力だろう。しかし、この政治不審の情勢では衆院解散までの選挙管理内閣となる可能性が高いがそれを払拭するだけの安定した政権になることが望まれる。
おぼっちゃま政権などと言われたこの政権であったが、J.F.ケネディ時代のBest and brightestとどうして違いが出たのかは国の違いとして受け取るべきなのだろうか。 -------- TITLE: 太陽とグスタフ・マーラー AUTHOR: カイト DATE: 4:34:00 PM ----- BODY: グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と言えばロマン派後期のオーストリアの作曲家ですが、最近はよく彼の音楽を聴きます。とはいっても、聴くのはごく一部の楽曲で、交響曲第1番、交響曲第8番、交響曲「大地の歌」くらいなのですが。しかし、これだけでも彼の主要な作品は抑えされていると思います。
交響曲第1番は、交響詩として作られた当初は「巨人」という標題がつけられていましたが、後に標題は破棄され交響曲となりました。しかし、番号よりも名前の方が覚えやすいのか、結局のところ標題が破棄された現在でも「巨人」の名前で親しまれています。この楽曲の特徴はやはり、第1楽章冒頭のカッコウの鳴き声に似せた音とラッパでしょう。これらは、自然の音を象徴しているそうです。ラッパについては、マーラーの生まれた家の近くに兵舎があり、日常からラッパの音を自然の音として捉えていたことに由来するという分析があります。そして、第4楽章の重厚な第1楽章の音節のリフレインがあります。これは、ベートーベン交響曲第9番第1楽章の主題のように何度も重ねられ奏でられます。
交響曲第8番は、マーラーが最後に自作自演を行い、大成功を収めた作品です。これには、1000人を越えたオーケストラと合唱団を動員した大作であるため「千人の交響曲」とも呼ばれます。この特徴は、合唱の壮大さと第1部における"Accende"に続く部分での展開でしょう。この第1部は、"Veni Creator Spilitus"「来れ、創造主たる聖霊よ」という聖歌を利用したもので、聖霊の7つの姿と対応した7漣からなっています。しかし、この第1部ではマーラーは1つ多い8漣で第1部を構成しています。単純に考えればマーラーの8番目の交響曲なので8にしたとできるのですが、実際に彼が何を思って1漣追加したのかは定かではありません。しかし、そのように深く考えるのではなく、シンプルな答えもあります。彼は、音楽に合う詩が欲しかったのであって、聖歌を作るつもりは無かったということです。音楽を聴くときに歌詞の意味ではなく語感や音声を重視したのではないかと思うのです。彼は、公演をしやすくするという理由だけで改宗をする程の人間であったとの話もあります。
グスタフ・マーラーという人物については岩波新書の黄版で『グスタフ・マーラー』という本が出版されていますので、参考になると思います。 -------- TITLE: ニューヨークに花束を AUTHOR: カイト DATE: 9/12/2007 5:07:00 PM ----- BODY: 911のテロから何年だろうか。ニュースで言っていてもあまり記憶には残らない。世界史に残るような大事件であるにもかかわらず、身の回りに全くというほど影響が無かったためかもしれない。世界が動き、その後1つの国を亡ぼしたあの出来事が起こった日に気にしていたのはその日中断したドラマをどのように再放送するかであった。私にその程度の認識しか無かったということではなく、私にそれだけの余裕を持たせないほど事件は大きくはならなかったのである。
人に大きな影響を与えうるのは世界を揺るがす大事件ではなく、身の回りに起こった端から見れば些細なことなのではないか。結局のところ、グローバリズムが進展しても世界が個人に介入することは難しいように思えるのである。一人の人間を変えるのは、その人間にとっての大事件である。例えば、受験例えば、家族の事故そんな、ありふれたものが契機となる。
今日、首相が辞めてもほとんどの人の人生には大事件となりえない。
だからこそ、外から事件を待つのではなく、自ら事件(変化)を起こすことが変革には必要なのではないか。 -------- TITLE: Report about China AUTHOR: カイト DATE: 9/10/2007 4:50:00 PM CATEGORY: Report CATEGORY: topicality ----- BODY: 2007年に講義のレポートとして書いた物です。テーマは講義で扱った国の中から一つを選んで論評せよ、とのものだったので、時流に乗って中国を扱うことにしました。 中華人民共和国についてのレポート はじめに 今回の講座は、諸外国で特派員を経験された方々から生きたお話を伺うことができ、大変有意義なものとなった。ここで、私は今回のテーマとして中国を取り上げたい。中国は来年にオリンピックを控えている上に、知的財産権を無視した石景山遊楽園の問題や、恩家宝首相の来日など特筆すべき点が多々ある。このような現代中国が抱える問題点等を、日中関係の現在と今後の展望を踏まえながら論じていく。 1.温家宝首相来日 今年の4月、中国の恩家宝首相が来日した。小泉首相の靖国参拝で戦後最悪といわれるまでに悪化していた日中関係であったが、今回の来日では友好関係が重視されたように感じられた。日中の「戦略的互恵関係」のための具体的な協力を行うことを決定し、政寒経熱と呼ばれる両国の関係はこのときから融和的なムードが漂っているように見えた。 安部首相は、初の訪問先を韓国・中国としたことや、靖国参拝問題に対して「行くとも行かないとも言わない」という参拝を断行した小泉首相よりは二歩三歩引いた姿勢でいること、すでに日中の経済関係が相互依存の段階にあることなどから関係の改善が図られた結果であると思われる。 とはいうものの、日中関係に問題が無いわけではない。 2.政寒 日中間の関係の中で、忘れてはならないのが過去の戦争問題である。2005年の反日デモは世界でも大々的に報道され、それを期に東南アジア等に事業を分散させる企業もあった。これは、また日中両国のナショナリズムの問題にもかかわるものである。日本においては、「新しい歴史教科書をつくる会」が、現在の主流である太平洋戦争に対する否定的な見方を「自虐史観」と批判し、「次世代に自信を持って伝えることのできる良識ある歴史教科書の作成、提供をめざす」として、新たな教科書が作られた例もある。これに関して、周辺諸国が大いに抗議したことは言うまでもない。また、小泉前首相は靖国参拝を毎年のように行ったが、彼は参拝を「心の問題」であるとし、取り合わなかった。それが、日中関係を悪化させる原因となり、彼の最後の任期での8月15日の参拝では戦後最悪といっていいほど日中関係は悪化した。しかし、このような中国の日本批判にはある説がある。それは、中国に内在するジレンマである社会主義を掲げながらの実質的資本主義や、貧しい農村部と都市部とでの格差問題、共産党による思想・弾圧の捌け口を日本に向けさせる意図が中国政府にあるというものである。また、中国での情報統制は厳しいものであり、Googleの中国版で天安門事件に対しての記事や法輪功に対しての記事が表示されなくなっている。これに関し、Googleは中国政府の検閲を認めている。 また、A級戦犯合祀も問題になっている。戦争犯罪人であるA級戦犯が祀られているにもかかわらず、その国の首相が参拝しているということになるからである。戦争犯罪人であれ、亡くなった人には変わりなく問題がないとするのが日本のスタンスであるが、中国はそれとは相反するスタンスを持っている。南宋代の政治家である秦檜への態度がそこに現れている。彼らは秦檜を売国奴とし、岳王廟にある秦檜夫婦の像には唾を吐きかける習慣があるという。彼らは、過去を水に流さない性質の国民なのである。 3.経熱 日本と中国の間の貿易関係は、すでに切っても切れない関係になっている。経熱と呼ばれるだけあって日本の第一の貿易相手国は現在中国である。我々の身の回りには中国製品が知らず知らずのうちに増えている状況にある。温首相も今回の訪日では、経済団体との懇談を精力的にこなした。経済界では、中国との関係を良好にしたい向きが強い。 経済界にとって豊富な人口を抱える中国は労働力の供給源であり、魅力的なマーケットであるためである。このように、経済においては盛んに交流のある両国関係であるが、日中間の互恵関係構築もあくまで経済先行であるという見方もある。 4.中国の今日的課題 中国が最大の二酸化炭素排出国となったのは記憶に新しいところである。 産業の発展のためには、二酸化炭素の排出はやむを得ないものである。しかし、二酸化炭素排出削減が叫ばれている世界情勢の中でも以前と同程度の排出が認められることは難しいように思われる。また、石景山遊楽園などを見る限り知的財産権の希薄さが問題である。事実として、発展をしていく国にとって、模倣は発展のための手段でもあり、日本でも以前は行われていたことである。しかし、複製が容易に出来る知的財産に対しては厳正に対応せざるを得ないと思われる。 おわりに 中国とは、日本と異質の国である。 情報統制がしかれ、基本的人権が確保されている状況には無い。しかし、世界における政治的・軍事的・経済的なプレゼンスを高めていく彼らに対して、我々は一方的な非難をするべきでなく、融和と共存を模索する姿勢が重要なように思われる。 参考文献 毛里和子『日中関係 : 戦後から新時代へ 』(岩波書店、2006年) 丸山知雄『現代中国の産業:勃興する中国企業の強さと脆さ』(中央公論新社、2007年) [1]Official Google Blog” Google in China”<http://googleblog.blogspot.com/2006/01/google-in-china.html>(参照 2007/07/06 19:25)による。 -------- TITLE: 2.0へ向けて AUTHOR: カイト DATE: 9/02/2007 6:40:00 PM CATEGORY: internet CATEGORY: topicality ----- BODY: 文化的な生活を送りたいものだ。 そう、世で言われるところの2.0な生活である。 情報の配信が、小数の人間が持つ特権から、 すべての人間が持つものに転化したのである。 その権利を享受しようと思うのは、当然のことである。 私は、一方的な受信者から、 受信者であり、配信者であるという双方向的な立場へと転化しようと思ったのである。 そのために、ブログを始めたにもかかわらず、 更新がなされていない。 更新をし続けるためには、受信者からのフィードバックが必要なのである。 そこで、私は皆様に積極的なコメントをお願いしたい。 スパムは困りものであるが、最近はスパムコメントすら無い。 これこそが、Webからの隔絶なのだろうか。 一方的にお願いするのは、礼を失するというものである。 したがって、私も、積極的にコメントを付けることにしようと思っている。 ここで、これからの方針について書こう。 私は、学生という立場にあるのでレポートを書く機会が多い。 それを、担当教員に提出するだけで済ませるのは非常にもったいないと思う。 そこで、これからは過去の物を含めレポートを公開していこうと思うのである。 できれば、批評、叱責などをいただきたい。 また、前記の理由より、積極的に、コメント、トラックバックを行いたい。 では、2.0へ --------