地球での生活レポートをしたためています。 この星で、ぼくが何を考え、何をしているのかを知る良いツールだと思います。
ここで問題なのは、地方と中央の教育格差です。地方では大手予備校の進出が遅れており、私の出身県でも県庁所在地に代々木ゼミナールがあるだけでした。それでもまだ有利な方で、大手予備校が進出していない県も数多く存在します。県が広ければ、予備校があっても行くことが出来ない所も多いでしょう。その中で、受験生が頼るしかないのが高校なわけです。
高校は生徒の需要に応え、受験指導を強化しました。その中で受験に使わない科目を削減し、学習指導要領を逸脱したカリキュラムを組みました。
このことが、そこまで責められることなのでしょうか?
ゆとり教育による授業数の削減により授業時数に余裕がなくなり、定められた基準では学力を維持できなかったことが背景にあると思います。
また、受験に関係ない科目の授業をしたところで生徒が授業を聴くかというところも問題です。実際に高校時代、受験に使わない科目は内職をしている生徒が殆どでした。その中で、授業をする意義が失われていったことは言うまでもないでしょう。どうせ聴かれないのならば、その時間に受験に使う科目を教えた方がいいというのは理解できると思います。
世論では、世界史は一般教養として必要であり、学校教育を否定したものだ、という意見が多くを占めています。しかし、生徒が自由意思で聴かない以上、それを強制することは憲法違反ですし、仕方のないことです。
また、世界史の意義についても大学進学を希望する生徒であれば、大学や社会に必要とされる程度の知識は一般常識として持っているものと考えることができます。ちなみに、世界史を履修していなかったのは理系の生徒が殆どであり、大学で必要とされるかは疑問ですが。むしろ、世界史を履修していても授業を聞いていない非進学校の生徒における常識の欠如の方が問題であると感じます。
また、未履修の多くはまともな大学では入試に使われない世界史Aであり、このことも未履修に繋がっていると思われます。ちなみに、私の出身校でも受験に必要ない化学A・生物Aの代わりにBをやっていたということもありますし、オーラルコミュニケーションは形骸化し、実質上文法の授業になっていました。
学習指導要領がいかに形骸化していて、実情に即さないものであるかがよく分かると思います。
理系において、世界史の知識を要求されるのであれば大学入試の科目に指定されるはずです。
また、文系においては世界史と日本史又は地理を履修することとなっていますが、地理歴史を2教科要求するのは東京大学と京都大学の2校のみとなっています。それは、地理歴史は教科としての比重が重く、ともに入試レベルまで学習することは困難です。これが、東京大学と京都大学が最難関校とされる所以でもあるわけです。よって、どちらかの教科は「捨て」られ、授業を聴かずに内職をするということになります。つまり、学習指導要領は文系に於いても実情に即さないわけです。
以上のことから、地方と中央に教育機関に格差があること、学習指導要領が実情に即さないこと、がお分かりいただけたと思います。今回の事態から文部科学省が学校での「生きる力」を育むなどと美麗字句を大義名分として学習指導要領の徹底に走ったときに地方と中央の格差は決定的なものとなります。そして、文部科学省の目論見通りの中央の一握りのエリートによる固定的な格差社会が実現するでしょう。 --------